黒澤浩美金沢21 世紀美術館 チーフ・キュレーター
意外な取り合わせや関係性から、見る者の「現実」とは何かについて問いかけるレアンドロ・エルリッヒ。ここ数年の関心は日常におけるモノの存在、特に機能性の探求がかたちとなって現れたモノの意味の作り直しである。
新作《 Laundry 》では壁面に6台の乾燥機の窓が並んでいる。乾燥機は、洗濯物を「乾かす」という機能によって或るかたちとして存在しているが、エルリッヒのそれには、実際のところ洗濯物は存在しない。乾燥機の窓に映るのは洗濯物が回る映像であり、乾燥の行為はフィクションである。窓の向こう側のリアルの不在に気づいた途端、見る側は途端にリアルを探し始める。それまで乾燥機が存在する意味など微塵も疑ったことなど無かったはずなのに、エルリッヒの巧みな装置が認識の迷いやブレを惹き起こすのだ。
《Elevator Maze》は、身体ごと作品の空間に呼び込むことで、人々がより強く現実を疑わざるを得ない状況を創出している。扉が開いたエレベーターの函に乗り込むと、通常ではあり得ない隣の存在に気づく。なぜなら自分が居るエレベーターの空間には居ない、「誰か」を隣に見るからだ。3個2列のエレベーターの函が並び、それぞれの函に人が入ると、認識の混乱は最高潮になる。エレベーターというモノを既に知っていることがエルリッヒのエレベーターと認識の間に溝をつくり、見るものと実際に体験するものが一致しているとは限らないことを強く意識づけるのである。見るものが現実であると考えるのは、まさにプラトンの言う「イデアの影」だ。函の或る面は鏡で自分の姿も映るので、自らの存在を疑うことはかろうじて留まるが、そもそも鏡という、像を結ぶ反リアルな存在によって現実を把握するとは皮肉な話である。
乾燥機やエレベーターに付与した存在の意味など、あまりに長いこと無意識に認めてきたために疑いもしない。しかし、ちょっとしたすり替えや特徴を際立たせることで、そもそもの意味は何だったのかについて深く考えることに陥る。バーチャルに拍車がかかった今日では、あらゆるものが疑わしく、実体を確かめることなど、もはやどのレベルでも難しい。見る側の環境と意識が変化しているので、エルリッヒの作品のリアリティは増すばかりだ。エレベーターと乾燥機で測られるリアルとはどの程度なものなのだろうか。