緑に包み込まれる童の姿が目に映る。うつむき加減に肩をすくめているが、描かれた顔貌や色がふんわりと柔らかくて、その表情は今ひとつはっきりしない。この子どもは安心しているのか、それとも何かを怖れているのか。またはどちらでもあって、今は安心しているが将来に不安を感じた瞬間だろうか。中心の構図は奥深い森のようにも、胎児を孕んだ母体のようにも見える。中心から左右に拡がっていく緑は夢のように連綿と連なるリズミカルな層。肉体の内側に宿る自然の生命や古の記憶を感じさせる。触手のように天に向かって伸びる形は森の木々の枝なのか、海の藻かもしれない。炎のように生命の焔がすっと穂を伸ばす、その移り目の生命の諸相、揺らめき、そのときめき、その変容を捉えた感覚細胞のようでもある。
このように中谷ミチコの作品には、いろいろなパースペクティブがひとつに詰め込まれていて、それらを絡み合わせることによって、何か新しい世界観が浮かび上がってくるような仕掛けが施されている。鑑賞者は作品と出会った途端に、断片的だった記憶や想いが結び合い、それまでは互いに関連がなかったカケラが自動的に新しい物語を紡ぎ出すことを体感するはずだ。
本展は、2021年夏にリニュアルオープンする越後妻有里山現代美術館 MonETに収蔵される12連作レリーフの制作中に描かれたドローイングを中心に構成されている。描かれた作品モチーフの描線や質感は、中谷がコロナ禍で、テクニックの修練ではなく、心のエクササイズで描いた日々のスケッチがベースになっている。誰かに必要とされているわけでもない、そのスケッチは小説家やマラソン選手のように孤独な自分との闘いの痕跡である。ドローイングの描線や形が曖昧であればあるほど、人は大きな物語を語るだろう。
その物話の主人公は語り手となる私たち自身であり、お話は変化し続け、終わりは存在しない。この空間では一人称の私だけでなく、三人称の「犬のお母さん」が物語を見守る。「犬のお母さん」は絶対的な他者ではなく、自己を他者に投影したものなのだ。これは、自分の心の奥底を徹底的に描くと決めた中谷ミチコが、深奥で手を広げるようにして掴み取ったものなのである。主人公は語り手自身となり、終わりのない結末を紡ぎ始める。歴史的には存在しないけれども、あなたが見たい世の中の変化、その変化にあなたがなり、いちども現実になったことのない物語があなたの大切な人を未来へ導くのだと作品は語り始める。
(2021/06/28)