河口龍夫と中原佑介の関係は、作家と批評家がもちうる関係の中で最良のもののひとつだろう。1958年多摩美術大学の学生だった河口は中原の授業に出席する一方、中原は、65年に河口らのグループ〈位〉による《穴》を見ていた。だが両者が互いを知り合うのは、67年の京都アンデパンダン展の合評会の後だという。以来、二人は充実した関係を築いてきた。中原は、自らが企画した70年の「人間と物質」展に河口を選び、71年の個展に際して書いた小文以来、全部で15本も河口論を書いている。
河口と中原は、互いに共鳴するものを感じていたのではないか。中原は当初「人間と物質」展を「人間と物質のあいだ」としようとしており(英語名はBetween Man and Matterになった)、70年前後は「あいだ」に強い関心があった。河口もその頃から「関係」と題した作品をつくっている。物理出身の中原は、物理や化学の現象を扱う河口のその後の作品に近しいものを感じたかもしれない。80年代後半に河口は生命現象に関心を寄せるようになったが、後の中原が、先史時代のヒトによる洞窟画に関心を持ち、人間の生や始まりの現象に関心を持ったことは無関係ではないように思われる。
中原による河口論を読むと、中原は河口の作品の展開を丁寧に見るだけでなく、一歩踏み込んで作品を解釈している点が興味深い。中原は、河口の「関係」を「見えること」と「見えないこと」の関係であるとした上で、河口は「眼に見えるもの」を媒介にして「五感を超えたもの」を感じさせることを目指していると論じている。中原は、さらに一歩踏み込んで、河口の作品には、視覚とその対象の「関係の解体」ないし「無関係」があるとして、90年代以降顕著となった「標本的展示」の形式に「無関係」を見いだす。中原の河口論は、河口の考えと異なるところもあるかもしれないが、河口作品の解釈を豊かなものにする点で優れた批評であると言える。
『関係と無関係 河口龍夫論』は、中原の河口論を収めた本であると同時に、河口による中原論になっている。装丁は河口の鉄の箱の作品を思わせる。箱の内側に塗られた黄色に表れているように、中にあるのは光の充溢であり、河口のドローイングは中原の本から発する様々なエネルギーを表しているように見える。この堅固な装丁の箱に守られながら、輝かしい中原の河口論が読まれ続けることを期待してやまない。