中野仁詞キュレーター / アートプロデューサー
京都芸術大学大学院准教授
東北芸術工科大学客員教授
筆者は角文平くんと、2017年KAAT神奈川芸術劇場「詩情の森-語り語られる空間」(《空中都市》、《SPACE HOUSE》)、2022年神奈川県民ホールギャラリー「ドリーム/ランド」(《Monkey trail》四つの作品からなるインスタレーション)の二度ほど展覧会をともにする契機に恵まれた。キュレーターとして関わった展覧会で、角くんの作品と対峙するたびに、筆者はいつも、引力の研究領域である物理・数学などの科学といった、常に感性とは相反する概念の存在を感じていた。通常、科学は真理を解明(証明)する営みであるが、美術、音楽、建築、ダンス等身体表現を含んだ現代芸術の表現は、広大な感性の海(世界)のなかで作者が鑑賞者との共鳴(共感)の仕方を模索する。しかし角くんの世界は、科学の概念とアートとを、人類の歴史を介在させながら混合する。科学・芸術の関係が相反するものではないということを実感としてわれわれに伝えている。
角くんの作品を拝見する際、特に実感するのは、地球の引力の存在である。われわれの住まう家など、日常的で当たり前の存在であるものも、われわれの身近にはなく普段は意識しないものも、もちろん森や田畑など様々な場所に生育する木々や植物なども、空から俯瞰すれば、すべて一様に地上にへばりついている。引力でくっついているのである。われわれ人間が地に足をつけて歩行し、地上に根を下ろしてしか生きていけない存在であることを、厭でも思い起こしてしまう。そしていったん引力の存在に意識が向くと、地球規模で世界を眺める目で、地上から遠く離れた宇宙に至るまでをすべて見通したくなる。角くんの作品は、そうした鑑賞者の目に応えている。人の目の高さから遠近法のように横方向に広がる世界も、地上から天空に至る縦軸の方向の空間も、しっかりと捉えている。
このような角くんの縦横の空間の捉え方とその表現世界について、筆者は次の三つの階梯があると見立てたい。
1、「地景」……われわれが歩き、家を建て生活をし、生まれてから生涯を過ごす日常的な時空。引力に引っ張られ地に足がつく世界。
2、「中景(中像)」……地上の引力から離れて上方に向かう中間の状態。仏教では、死後、現世と冥界のどちらとも魂の在処が決まらない49日間を{中宥|ちゅうう}と位置付けている。
3、「天景」……引力から離れ宇宙空間に浮かぶ人間の作り出した空間。
本展では《記憶の皮膜》と題されたインスタレーションが発表される。このインスタレーションでは、風船や気球バルーンの中に文字の書かれた紙片や映像、蛍のような光などが取り込まれ、角くんがこれまで取りまとめた様々な記憶が鑑賞者の記憶と交差し、コミュニケーションが図られる。角くんのこの世界にわれわれが入り込み体感した際、われわれは角くんが彼の独自の視点から思い描き作品に取り入れる地景、中景、天景のどの位置にいるのかを認識し、お互いの「記憶のボリューム」の中に接点を見出すだろう。
そのシーンを、角文平くんは、どこかでくすっと笑いながら眺めていることだろう。まずは、彼の創造した世界にわくわくしながら進入してみよう。