クレリア・チェルニックパリ国立高等美術学校教授(哲学)、美術批評家
角文平の作品を前にして、まず感じるのが普通に体感できる重さと軽さである。空中に浮くかどうかを調べればそのモノがどれほど重いか一目瞭然であり、同様に我々をとりまくモノの精神的な重みを理解するには、それをみて思わず笑ってしまうかどうかをチェックするのが一番手っ取り早い。角はそんな重さと軽やかさの間に存在する緊張感を、詩的でデリケートな作品で遊んでみせる。たとえば車や爆弾の危険性を浮き彫りにするため、彼はオブジェを空中に浮かべ、浮遊する軽やかさ、詩情や問題意識を疑似的な組み合わせによって一気に提示してみせる。モノたちを飛翔させる独特の方法は、裏をかえせばその重さを感じ、抵抗を克服し、重力や消極性を理解する方法といえるだろうこの世界があたかも地面から浮き上がっているようにみせるのは、アンドレ・ブルトンのいう「決定的な夢想者」の眼で社会を観察し、かつ詩的で批判的に距離をおくことと軌を一にしているのだ。
同様に、石油缶やチョコレートの噴水といったモノに、角は列強や経済大国、エネルギー争奪戦争や公害といった明白なシンボルを重ね合わせ、それらのイメージを喚起する。チョコレートを無制限に与えられた子供のワクワク感はかえって半減するという破滅へのシナリオも見え隠れする。視線を常識から動かし、大食い願望や軽やかさをくすぐりながらもこの世界の暗黒部分と向き合わせる巧みな手法である。さらにいえば、工業製品のステレオタイプな特質は、大工仕事や作家が手作りで制作する部分に対比される。ここでもまた、人間らしさを失った工業製品の世界と、温かいまなざしと人間味あふれる二つの特性の間の緊張感、一つの基準が生み出される。彼の作品は、資本主義社会の中で私利私欲を肥やし自らを見失っていく危険な力と、ヒューマンな視線に基づいた主観的な創造、そこから発するポエティックな夢、その両者のバランスと均衡の上に成り立っているといえるだろう。
角文平の世界は、二重の意味で「サスペンス」だ。彼の世界は重力から解放され、シリアスな意味からもつきぬけて地面から立ち上がる点で「宙ぶらりん」。面白いことに、重力を考えれば考えるほど、その繊細さや不安定さが際立つ。世界はサスペンスで危険で脅威に満ち、そのバランスは危ういばかりか失墜の時が迫りくる。
モノとモノを組み合わせ、コラージュする手法は、世界を詩のように取り扱い、また同時に世界を疑う、否もっといえば謎にかけているようで、批評性や政治性を帯びてくる。シュルレアリストたちが「世界を変革する」野望を抱いたことを思い出そう。彼らのいう「生の変革」とは、詩の革命と政治の革命とを分かちがたく結びつけながらも決して両者を混同する意思はなかった。美学と政治学との弁証法を説きながら、コラージュ的なはめこみ手法と「異形」は世界を見る新たな視線の道具となるだろう。つまり、裸眼では追うことのできない微細な物質を顕微鏡が明らかにするように、望遠鏡があれば遠くてみえないものが見えてくるのと同じように、軽さと重み、ユーモアと真面目さを取り合わせて融合することにより、角文平は現代社会の見えない矛盾や不条理を明らかにしてくれるのだ。