2017年1月、ヒトと豚のキメラ (i)が誕生した。ライフサイエンス分野の世界的権威である学術雑誌「セル(Cell)」に、アメリカのソーク研究所でヒトと豚の混合種の胚の作製に成功したという研究結果が発表されたのだ。2019年には中国では猿の遺伝子をもつ豚が誕生している。(ii) こうした研究の目的は、ヒトに近い動物を作りだし、その体内で臓器移植用の人間の臓器を培養するためである。嘗て、神話で恐れられていた怪物のキメラは、近い未来には臓器培養器として私たちに仕えるようになるのかもしれない。
1999年頃にはじまった鴻崎正武の代表的なシリーズである「TOUGEN」にも無数のキメラが描かれており、作品の重要な要素として捉えることができる。南蛮屏風や洛中洛外図を連想させる様式を土台として、頭部が鳥の裸婦をはじめ、人工衛星や伝統民芸品などの人工物と動物や昆虫、花などの動植物が混合したキメラなど、そのバリエーションは膨大だ。そんな鴻崎のキメラと冒頭のラボ由来のキメラが、どこか重なっているように思えてならない。
鴻崎が制作のために参照するのは、オランダの画家ヒエロニムス・ボッシュ(1450~1516)、百鬼夜行図(1336~1573)、洛中洛外図屏風(16世紀~)、南蛮図屏風(16世紀末~17世紀)などである。そこには、産業革命以前の世界で人間の欲望と想像力が生み出した、迷信やモノノケ、豊かな風俗や文化が描かれている。鴻崎の絵画世界で、それらと異質に共存するのが、人工衛星やロケットなど、科学技術によって生み出された機器や工業製品である。この興味深い共存、または混合によるキメラが浮き彫りにするのは何なのだろうか。
近世から変わることなく存在する人間の欲望や豊かさへの願望は、産業革命以降、科学技術によってあらゆる形で具現化されてきた。時代によって異なる姿で現前してきた「人の性」の合成が、鴻崎のキメラが意味するものではないだろうか。研究室で作製されたキメラも、不死への願望が、生きた臓器培養器というグロテスクな形で表出したものである。鴻崎の描くキメラとラボ由来のキメラの近似性はそこにあるのだ。
福島出身の鴻崎は、原子力をはじめとする科学技術によって人間の欲望が満たされた時、奇妙な「TOUGEN」が到来するであろうことを肌で感じていたのかもしれない。既にヒトと豚のキメラを生んでしまった私たちの世界は「TOUGEN」に近づきつつあるのか。コロナ禍に改めて見直した時、鴻崎の作品は新たなリアリティをもって迫ってくるようである。
(i)ギリシャ神話に登場するライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ怪物であるキマイラが語源となり、生物学では同一の個体内に異なる遺伝情報を持つ細胞が混じっている状態や、そのような個体のことをキメラと呼ぶ。また、近年、映画やアニメ、ゲームなどのポップカルチャーでも複数の生物が合成されたものがキメラと呼ばれることある。
(ii) 参考: Jun Wu. “Interspecies Chimerism with Mammalian Pluripotent Stem Cells,” CELL, JANUARY 26, 2017. VOLUME 168, ISSUE 3, P473-486.E15, 2019年12月に中国・北京の国家重点実験室で猿の遺伝子を持つ子豚が誕生したことも報じられている。
(参考:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/12/post-13608.php)