2026年4月17日

2026年3月18日、美術評論家・中原佑介の没後15周年と『中原佑介美術批評選集』完結を記念したシンポジウム「私たちはどこへ行くのか―「中原佑介」を起点に」が東京・代官山のヒルサイドプラザにおいて開催されました。
2011年3月、東日本大震災の直前に逝去した中原佑介。それから15年。震災と原発事故、パンデミック、気候変動、国際情勢の危機、そして揺らぐ民主主義――私たちの世界は大きな転換を経験しています。このような時代、美術を通して社会や時代と向き合い、分野を越えて思考することの重要性を示し続けた中原の思想と実践はいかなる意味をもち、更新しうるのかーシンポジウムは、6人の発言を通して中原の仕事を多様な入射角から照らし出し、現代における意味を問い、確認する場となりました。

京都大学で湯川秀樹のもと素粒子論を研究し、1955年、修士論文と並行して書いた「創造のための批評」が美術出版社主催第2回美術評論募集第一席に入選、美術批評の道へ進んだ中原。選集の編集委員をつとめた東京大学大学院教授・加治屋健司氏は、基調報告で、中原の「批評」には物理学徒としての視点が貫かれ、量子力学における「観測が対象に影響を与える」という概念が反映されていたと語りました。中原にとって批評とは、作家の創造を説明するにとどまらず、それを変革させ、作家を前に進めるという意識によって支えられた能動的な活動でした。
中原はいわゆる批評活動にとどまることなく、多くの展覧会を企画しました。1970年の「人間と物質展(第10回日本国際美術展)」には、人間と物質の相互作用という視点のもと選ばれた、クリストやセラなど内外の40人以上の作家が参加、その後の日本の国際展に影響を与えました。中原は、芸術を自律した世界に閉じ込めず、ナンセンスや科学技術、あるいは場所性といった広大な文脈の中に位置づけ、相対化し続けました。芸術の基本である「見ること」を問い直し、世界を秩序づけ直そうとする、生涯をかけた思想的実践でした。

アートフロントギャラリー代表で、中原の批評選集の版元・現代企画室代表でもある北川フラムにとって中原は、自身の型破りな実践を美術の文脈から見守り、承認してくれた存在でした。初めて北川がキュレーションした「現代美術のパイオニア展」(1977)での出会いから、ファーレ立川(1994)や代官山インスタレーション展(1999-2013)、そして大地の芸術祭(2000-)や瀬戸内国際芸術祭(2010-)まで。場所の力や、多様な人々との共犯関係をつくることを重視し、「とにかくみんなが面白いと思うことをやってきた」北川の仕事に対し、中原は共感を寄せ、大地の芸術祭で「脱芸術」といった概念を提唱するなど、美術史的な枠組みを超えた独自のカテゴリーで評価を与え、励まし続けてくれました。

東京国立近代美術館主任研究員の成相肇氏は、中原批評をそのテキストからだけではなく、当時の時代潮流や言説空間を踏まえたうえで、すなわち「補助線」を引いて読み解くべきだと語り、戦後批評の父親的存在であった花田清輝(1909-1974)と中原の親和性に着目しました。中原批評には、教養主義批判、ヒューマニズム批判、物質主義という三本の主要な柱があるといい、それは花田批評を継承・発展させたものであると分析。花田と中原には、人間のコントロールを避ける姿勢や物質への執着などが共通しますが、中原はそれを引き継ぎ「ナンセンス論」へ発展させました。翻って現代―美術館の公共性や創造性が保守的なコモンセンスに回収されつつある危機的状況において、常識を破る「ナンセンス」を旨とした中原批評が、今改めて参照されるべきだと結びました。

中原と同じ美術出版社主催の美術評論募集に入選し、美術、詩、評論と多彩な活動を展開するアーティスト・布施琳太郎氏は、中原の批評を現代の大規模言語モデル(LLM)―AIの問題と結びつけて考察しました。中原は数学という「現代の神」のイコンとしてコンピュータを捉えていましたが、現代のAIにおいては、数学が、矛盾を含まないことが証明できず、かつ演繹不可能なものをアウトプットする実践になったと言えます。そのような現代において、芸術の役割とは何なのか。布施氏は単なるコンセプトの提示ではなく、中原が『大発明物語』で説いた「アイデア」という考え方が重要だと指摘。単なる情報の連結が陰謀論に陥る危うさを持つ今、言語とイメージの関係を再編する自由な発明家としてのアーティストのあり方を、中原のテキストから読み説きました。

多摩美術大学教授・光田ゆり氏は、1952年創刊の雑誌『美術批評』に端を発する、戦後日本における「現代美術」の成立を振り返りました。中原が物理学の分野から殴り込みをかけるようにデビューした当時、批評はマーケットのためではなく、変革期において世の中を良くするためにやるという信念が共有されており、中原の批評は単なる作品分析ではなく、創作の動向が社会とどう関わり、どこへ向かうかを見抜く「状況批評」であったと指摘しました。光田氏は中原選集の企画を立てながらも断念せざるを得なかった経験があり、紆余曲折を経て、今回選集が完結したことが感慨深いと締めくくりました。

美術批評選集を共同出版してきたBankART1929代表・細淵太麻紀氏は、本選集の出版に情熱を注ぎ、4年前に急逝した前代表・池田修(1957-2022)の遺志を起点に発言しました。池田は、同じく物理学を学んだ中原に深いシンパシーを抱き、2008年より選集刊行の計画を立ち上げ、編集の過程に多くの人を巻き込んでいく構想のもと、出版に向けた研究会の準備を進めていました。しかし、2011年3月に中原が逝去。その後中原不在のもとで開催された研究会で池田は、中原批評の特質は「シンボル(象徴)」ではなく「メタファー(比喩)」にあると指摘しました。二つの事象を並べる「メタファー」によって受け手に無限の解釈を許す中原の論理は、絶対的な真理が揺らぐパラダイムシフトの時代にこそ有効であると細淵氏は言います。震災、コロナ禍、戦争、そしてBankARTにとっては池田自身、そして拠点施設、経済を喪失する苦境に立たされながらも活動を続ける中で、中原の残した思考の体系は、迷ったときにいつでも立ち返ることができる場所であり続けていると語りました。
シンポジウムの最後に北川は、「いま、日本は堕ちに堕ちている。そのような時代だからこそ、美術は頑張らないといけない。」と、会場を埋める聴衆に呼びかけ、さらに実質的に社会を動かしている企業が美術に関わり出している現況を指摘。企業の関わりが重要であると言及しました。それはまた、なぜ美術が社会に必要なのか、という問いへとつながります。その時、中原が遺した言葉たちは、美術と社会の関係を思考し、未来を構想するためのひとつの指針を示してくれるのではないでしょうか。
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