2019年、オリンピック開催を翌年に控え沸騰寸前といった渋谷で開催されていた「終わりのむこうへ : 廃墟の美術史」展。そこで多くの来客を惹きつけたのは、元田久治がこの街のランドマークをリアルな廃墟として2005年に描いた静謐な風景画だった。閉幕後間もなく、街の一角で変化があった。絵でも象徴的だったタワーのロゴが撤去され、新元号に歩調を合わせ一新されたのだ。このように元田の絵の源泉である現実の街は、次の瞬間には砂が零れるように絶えず更新され、その繁栄の姿のまま結晶化して廃墟となる未来は、たぶん来ない。しかし翌2020年、突如人影が絶えた街の風景は、少し前に多くの人が思い描いていた未来とだいぶ様相が違った。今やや賑わいを取り戻した街で、ポップな新ロゴを掲げ、すましてタワーはそびえる。が、何事もないふりをしても、ズレた隣の次元に、あの元田の風景が広がっている事をもう知っているよ、と声をかけたくなる。
元田自身は「フィクションを表現するために写実を利用」しているのだと述べる。しかし、震災、厄災、戦争が起こるたび、現在の風景を見る時さえ、彼の「フィクション」がしばしば想起され、予兆的とさえ評されるのはなぜなのか。それは今・ここに狭められた私たちの視界の薄皮一枚先にあるもっと普遍的な「リアル」を、元田が常に探り当てて描いてきたからではないか。
そんな元田が、新たな展開として「CARS」と題した連作に取り組んでいる。素材感のある実物大の道路上に、主にリトグラフによるコラージュという硬質な手法でびっしりと表されるミニカーの車たちは、くたびれ古び、カタカタと音をたてそうだ。反復・相似するようでいて少しずつ個性が違う姿は愛らしくもあり、石畳上や砂の中で身を寄せ合うものもいる。戦火から逃げ惑う姿か、商業主義に促された通勤や余暇のラッシュに身を投じた末か。様々な想像が重なるのは、恐らく見つめる私たちの「リアル」が知らず知らずに絡めとられていくからだ。元田の緻密な手から生まれた小さな車たちは、どことも知らぬ地を目指す。私たちは、やがて自身が乗っている一台さえ、その絵の中に発見できるのかも知れない。