藤 堂 – 瓦 礫

会期終了

2016年11月25日 - 12月25日

「ホテルO 東京 - 鱗文金色タイル」、155 x 120 x 70 mm、壁の破片、積層ガラス、 2016年
photo by 伊奈英次
この度アートフロントギャラリーでは、藤堂の個展「瓦礫」を開催致します。
営業時間11:00 - 19:00 月曜休廊
レセプション2016.11.25(金) 18:00 - 20:00

秘められた考古学

クレリア・ゼルニック映画研究者、フランス国立高等美術学校教授、芸術哲学

 藤堂は1969年東京に生まれ、長年ドイツで学びながら活動し、日本に戻ってきた。自国を新たな視点で見られるようになった彼が今後問い直すものは、都市の考古学、あるいは建設と破壊の急激な波である。アートフロントギャラリーでの今回の新作展において、藤堂はこれまでの自然石や本の間にガラスを嵌めこむスタイルから移行して、都市や歴史といった文脈から引き出された断片を使っている。ベルリンの壁や東北大震災の被災地、あるいは1964年の東京オリンピックにまつわる建物から拾い出された断片は、我々の街の廃棄物であると同時に歴史の証人でもある。
 例えば、かつてホテルオークラの浮彫装飾の一部であった瓦礫は往年の姿を垣間見せ、街の歴史を物語ってくれる。その優美なデザインに加えて有名人や富裕層、賓客がよく使ってきただけに様々な幻影や逸話に事欠かない。これらの歴史の遺構に向けられる視座を改めて再発見させるのが藤堂のガラスを挟み込む手法といえるだろう。同時に過去を思いおこすことの饒舌さ、力強さにも眼を向けさせる。実際藤堂の作品の内部を見ると、ガラスは一塊ではなく薄いガラス板が何層にも積層し、まるで書籍のページの重なりを思わせる。このガラスの重なりは光を乱反射し、まるで異次元の空間が出現したようだ。かつて建物の断片であったものが藤堂の手にかかるとまたとない稀有な石、魔法のオブジェ、化石となる。ちょうど大小の歴史を構成する逸話やエピソードが、エフェクターにかけた音声のように無限に繰り返され、都市の建物や土地の下に隠されている秘密が絶え間なくささやかれるように、作品とは永遠の空洞を創造し、最も遠い時間の層が自らを映し出すままにする場ではないだろうか。
 奥深い透明感と内部が光る仕掛けによりマチエールは空洞化し、そこに軽やかな亡霊が住みつく。亡霊たちはそこで時間を越えて生き続け、過去の小さなドラマや様々な出来事、論争や噂話、スキャンダルを語り続ける。
 今回展示室の外に設置される、箱等を積み上げた柱もまた個人的な歴史の集合体であり、我々の命や日々の生活の考現学を視覚化する機会となっている。日々の営みを歴史学者のようにとらえる藤堂は、石や瓦礫、箱といったモノ自身が雄弁に語りアーカイブとして力強いことを証明してみせる。こうした集積の力は藤堂の新作を構成する瓦礫の山にも通じるものであり、取り壊されて再建されるスタジアムから来た瓦礫の山は、消費文化や廃棄の波を浮き彫りにするかのようだ。我々の街とそのみえない巨大な消化器が無意識のうちに廃棄してきた不要なモノが、今甦る。

出展作家

藤 堂TODO

藤堂の作品の背景には常に時間がある。その作風は「場所の固有性」をテーマに自ら歩いて集めたものを中心に創造され、様々な形態を持つ。もっとも代表的な作品はドイツ滞在時に制作されたもので、世界各国にある史実を刻んだ土地の石を切断しその切断面に積層ガラスを埋め込み磨き上げたものである。バサルト・シリーズでは玄武岩を使って列柱状のインスタレーションも行うが、これはヨーゼフ・ボイスがドクメンタ7で始めた「7000本の樫の木」プロジェクトからインスピレーションを得たものだという。また、本のシリーズでは西洋の哲学書・小説・聖書や讃美歌などを扱い、積層ガラスをはさむ方法とページを樹脂で固める二種類の方法で作品を制作している。デュッセルドルフに10年以上住み、肌で感じた西欧文化と日本の美意識が融合されている藤堂の作品は、国内外で人気が高い。東日本大震災を機に制作拠点を日本に移してからは、社会の新陳代謝の中で消えていく名建築の瓦礫や故郷の宇和島で養殖された真珠を用いた作品も発表している。